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メソポタミアにも高利貸

メソポタミアのシュメール人は、紀元前3500年ごろから人類最初の文字である楔形文字を使い始めた。彼らは灌漑(かんがい)農耕を始め、村落を成した。やがて余剰生産物の増加に伴い農民の他に農業に直接従事しない神官、戦士、職人、商人などを養えるようになり、都市国家が形成されていった。


そこでは穀物などを集積・貯蔵して再分配をする必要が生じる。分配を取り仕切るリーダーが登場し役所としての神殿が作られた。神殿は神事や政治を行うだけではなく、収穫された穀物やその他の物産などが寄付や税として集められた倉庫でもあった。

 こうした収穫物の再分配機能こそが、徴税制度の始まりであり政治の始まりでもあった。また集積され貯蔵された物資の管理のためにはどうしても記録をする必要が生じた。

 硬い棒で石の壁に物の数だけ線を削れば数の記録はできる。われわれも学級委員の選挙では黒板に「正」の字を書いて選挙の結果を集計したりしたものだ。

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 しかしシュメール人の必要とする情報量はそれよりも多く、彼らはもう少しスマートだった。一定量の麦に対して一つの泥団子のトークンを作った。泥でできた「おはじき」のようなものだと考えればよいだろう。トークンを棚から棚へ動かせば入庫出庫の管理ができるし、棚のトークンの数を数えれば在庫計算が簡単にできる。さらにトークンが一定量集まれば、それを泥でできた丸い封筒に入れて大きな数を数えやすくした。

 しかし貯蔵品の種類が次第に複雑になったことは容易に想像がつく。穀物は小麦だけではないし、金属、木材、繊維、工芸品など品目を分別し、日時、所有者などを記録しなくてはならない。

やがてシュメール人はこうした記録を楔形文字によって単なるタブレット(粘土板)の表面に記録するようになった。紙のようでもあり、画面こそ動かないものの、現代のタブレットPC(iPad)にもよく似ている。

 こうしてさまざまな記録が残されるようになり、やがて年に一度の収穫期には倉庫の棚卸しをして年次の決算報告書のようなものも残されることになった。

タブレットの利用はこうした在庫管理だけにはとどまらない。紀元前2800年には既に不動産取引がタブレットに記録されているし、ハムラビ法典の第7条ではタブレットの契約書なしで所有権を移転させると受け取った側は盗人になるとある。そしてこうした商業取引があるということは、物々交換だけではなく貨幣に近いものがあったはずである。メソポタミアでは穀物と並んで銀が重量に応じて価値の決まる秤量(しょうりょう)貨幣として使用されていた。

                ■     □

 ハムラビ法典には利子の上限を定めた規則がある。

「もし商人が穀物を貸借契約に供したときには穀物1クールにつき60クーの利息を徴収する。もし銀を貸借契約に供したときには、銀1シケルにつき6分の1シケルと6シェの利息を徴収する」

 「もし商人が違反して1クールに対し60クーの利息あるいは1銀シケルに対して6分の1シケルと6シェの利息を超過して徴収したときには、商人は与えたものを失うだろう」

 穀物の貸借の場合は1クール=180クーなので、33.3%の金利である。銀の場合には1シケル=180シェなので20%の金利となる。こうして金利の上限についての規則があるということは、同時にメソポタミアには高利貸が存在し、問題になっていたこともうかがわせるのである。



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