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金融の始まり

「見えざる手」で有名な18世紀末のアダム・スミスは「社会の粗野な諸時代には牛が商業の共通の媒介者であった」と述べた。彼の時代にはメソポタミア文明はすっかり砂の中に埋もれてしまい、皮肉なことに古過ぎてまだ誰もその存在を知らなかった。




旧約聖書には関連した記述があったものの、シュメール人も、文字がそこで生まれたことも、法と契約書があり高度な商業取引が行われていたことも誰も知らなかった。スミスのいう社会の粗野な諸時代とはギリシャ文明のころである。

ブラッド・ピット主演のハリウッド映画「トロイ」は有名なトロイの木馬にまつわる逸話を扱った作品だが、紀元前8世紀末のギリシャの吟遊詩人、ホメロスの語った「イーリヤス」や「オデュッセイア」をもとにしている。ホメロスはその中で牛を物の価値の基準として使用していた。

 「各種の手仕事に堪能な女奴隷は牛4頭と評価した」

 「大きなペルシャ製の三脚の瓶は牛12頭分の価値である」

牛はそれなりの世話をして飼育をしていると子を産み増えていく。ここで資産評価の基準とされる牛はあたかも利子収入を産む金融資産のようでもある。

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 「利子」のことをメソポタミアのシュメール人はmas、エジプトではmsと呼んでいたが、これらはどちらも動詞msj=「産む」から派生し「利子」と「子牛」のどちらの意味でも使用していた。

漢字の「利息」の語源も中国の「史記」にある「息は利の如し」に由来し、息子は利益につながるという意味から来ている。「利子」は息子に限らず女子も含めた子供のことだろう。

一方でカール・マルクスは「資本論」第5章において否定的な意味で「利息が貨幣から生じ、より多くの貨幣となった。それ以来その名はトコス(ギリシャ語で利息、子孫)と呼ばれ、もっとも自然とは異なるものだ」と指摘している。

額に汗して働いて稼いだお金と、何もしないでお金がお金を生む利子収入で稼いだお金の対比は、昔も今もよく引き合いに出されてきた。

後者には労働することの尊さも、汗も、筋肉疲労もない。しかし、もし資産の価値が何も生まないゴールドではなく牛で例えられるならば、それは強欲な心など何もなくとも自然に増えていくものなのである。牛を借りれば生まれた子牛をつけて返さなければならないのだ。

また小麦を借りれば、収穫期には借りた分に利息をつけて返さなければならなかった。灌漑(かんがい)農耕によって現代と比較しても非常に肥沃(ひよく)であったといわれるメソポタミアでは1粒の麦が20倍から80倍にもなったという(現代ヨーロッパでは15倍程度でしかない)。メソポタミアの肥沃さがわかるとともに、借りた麦には利息をつけて返すのが当然だとも思わされるではないか。

旧約聖書「出エジプト記」では、モーゼを待ちきれないユダヤの民がゴールドで子牛の像を作りこれをあがめ、宴をはった。それを知ったモーゼは偶像崇拝を嫌いその行為を厳しくとがめた。現代では「金の子牛」は単に偶像崇拝の意味ではなく「物質崇拝」や「拝金主義」のメタファーとしての意味を持つ。生き物として生産する家畜である「牛」ではなく、ゴールドを材料とした「金の子牛」は何も生み出さない。しかし一方で金があれば牛も小麦も買うことができるのだから金を貸せば利子はつくべきはずだ。

 現代においてもこの不労所得である利子や配当収入など金融収益にまつわる倫理観がたびたび問題になる。もしも利子の起源が牛など家畜の繁殖や穀物の収穫だと考えるならば、利子所得も当然の権利のようでもある。さらに子牛が子牛を産み枝分かれするさまからは、利息の計算方法は複利であるべきこともわかるのである。


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