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日本の刃物

ミラノのファッションストリートの一角に周囲と趣を異にする店がある。刃物の専門店だ。世界各地から仕入れている商品点数はオリジナル商品も含め1万5千を超す。刃物の業界で珍しいだけでなく、品ぞろえのしかたやサービスでも学ぶ点が多い店だ。

刃物の主要生産国は、イタリアのほかにドイツ、フランス、米国そして日本だ。オーナーは日本にも毎年出かけ、岐阜の関や新潟の三条のメーカーを訪ねる。 

この店のオーナーに尋ねたことがある。
ヨーロッパのナイフと日本の包丁の違いは何か? 日本包丁のような切れ味がヨーロッパのナイフにないのはなぜか?」と。

 彼はたちどころにこう答えてくれた。

「まず一つ目の違いは、日本の包丁は非対称になっている。片方の手でしか使えない。そして刃を直立させて切る時と、刃を寝かせて薄く切ることがある。これがヨーロッパの使い方と違う」

「二番目の違い。日本では食卓でナイフは使わないように、厨房で全てカットする。しかし、ヨーロッパでは食卓でカットするから、刺身のように日本ほど前段階で丁寧に切る必要がないんだ。そしてタイプでいえば、ヨーロッパのナイフは用途別に沢山種類がある。だが、日本は一つで色々な用途に使うようになっている」

「まあ、こういう背景はあるが、結局のところ、日本人は刃物の切れ味に多大なこだわりをもったからとしか言いようがない。これはヨーロッパがもちきれなかったこだわりだったのだろう」

映画をみていても気づくが、日本と西洋で刀の特徴と使い方が異なる。日本刀は人を斬るシーンが圧倒的に多い。西洋の刀の使われ方は斬るより突き刺す、との印象が強い。それだけ日本では「切れ味」が焦点になる。

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現代の生活に浸透しているモノをみても、同じことが観察できる。

食品用包装フィルムを例にみてみよう。サランラップは商品名だ。米国で誕生し世界各地でライセンス生産されてきた。だから全て世界で同じか?といえば違う。フィルムの質感も異なれば、箱についているカッターの切れにも差がある。イタリアで買ったラップの箱のカッターだとフィルムが切れない。カッターを使わずナイフで切る人も少なくない。 ぼくは日本に出かけると日本製ラップを買ってミラノに戻る。フィルムが終わると箱だけ残して、イタリアのフィルムを日本製の箱に入れて使う。イタリア人へのお土産にもする。するとイタリア人も日本のカッターを喜ぶ。フィルムがスパッと切れ、ストレスがない。


歴史的にみてヨーロッパで刃物に切れ味が日本ほどに求められなかったし、現代の生活において、その要求が明確に高くなってきているということはなさそうだ。しかしながら、一度その切れ味のよさを覚えると、やはり切れ味が良いに越したことはない。

 日本のデザインや美しさへの感性は「引き算」に拠っているとよく言われる。余計なものをどんどんと削ぎ落としていく。無駄と思われるものを徹底して捨てていく。京都にある寺でも、無印の雑貨にも、そういう傾向を見ることができる。

実は、この「引き算の美学」が語られるたびに、冒頭で紹介した刃物専門店のオーナーの「日本は切れ味にこだわったとしか言いようがない」というセリフをぼくは思い出す。削ぎ落とすのはスパッと切れる刃物こそが相応しい。刃物の切れ味だけが「引き算の美学」を作ったわけではないだろうが、刃物の切れ味の傾向と日本の美学の間に何らかの関係があるのではないか。

ここに正しい想像、間違った想像というのはない。包丁、ナイフ、ラップのカッター、刀…とみることで、道具だけでなく何を美しいと思うかの感覚までを関連付けて考えることが大事だ。それがビジネスを前進させるに求められる能力だと思う。



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